私は、50歳前後の時期、かなりハードな仕事環境を過ごしていました。
その結果体調を崩し、精神的にも追い詰められた状況が続いていました。
その頃は「仕事」しか私の生活の中になく、
ほかのことを考える余裕がありませんでした。
そんな状態が長く続くわけなく、私は病院へ行く時間を作りました。
この「病院へ行く」決断は、
今にして思えば、
私が新しい「視点」を得る第一歩となっていました。
「仕事」だけではない人生について
私が考え始めるきっかけとなったのです。
それまで学んだことやその後の学びが
本当の意味で私の身についていったのは、
このような経験を経たからこそだったと思います。
身についたひとつひとつのスキルには、それぞれの持つ「視点」があります。
もともと私は、物事を俯瞰して全体をみるのが好きなので、
新しい視点が得られることは楽しく、嬉しいものでした。
スキルを学ぶ前は、全体像を見るとき一方向から見て全体をとらえていました。
今は、複数の視点で多方向から見ることができるようになりました。
特にTAの視点で見ると、これまで見えなかったことが見えてきます。
それは、他者や、出来事、TVドラマ、小説などであり、そして自分についても同じです。
こんな視点で見ることができるなぁということをテーマに、今回は書いてみたいと思います。
【朝ドラ】
私はNHK朝の連続テレビ小説を、ここ数年楽しみに見ています。
ドラマ自体の面白さもありますが、登場人物をTA視点で見るとドラマの筋書きとは違う見方ができます。
1回で2度(3度?)おいしくいただいています(笑)
現在、NHKは朝ドラ枠で『おちょやん』を放送しています。
明治の末、大阪の南河内の貧しい家に生まれた千代は、
9歳のときに道頓堀の芝居茶屋に女中奉公に出されます。
そこで苦労を乗り越え、芝居の世界に飛び込んでいくことに。
千代は戦争を乗り越えたものの、一時は芝居の世界から去ってしましますが、のちに復活。
「大阪のお母さん」として名実ともに上方を代表する女優となっていく。
というお話です。
今はまだ、芝居女優として活躍しているところですが、
今回の物語で強烈な印象を残したのが千代のお父ちゃん、テルヲです。
彼は、人としてどうかと思う言動を繰り返しているトラブルメーカーです。
それくらい見ていると、腹が立って腹が立って仕方のないお父ちゃんですが、
「視点」スイッチを入れてみてみると、それはそれで感じ方が変わってきます。
(テルヲさん)
ドラマを見ている中で私が感じたテルヲの人物像は、
自分のことも一人でできないだらしない人。
見栄っ張りで自分より弱い者には強く当たる。
気は弱く交渉下手で強いものには何も言えない。
相手が喜ぶことをするのが大好き。
口は達者なので、後先考えずうまいこと言ってその場を治めようとする。
性根はやさしい人。
あくまで私の主観です。
TA視点で見ると、
テルヲは誰かが何とかしてくれる、自分はどうなってもよいという脚本を演じており、
幼少期にそのような環境で育ったのだろうと推測されます。
今現在のテルヲは、テルヲが育った環境によってその人格が出来上がっています。
今現在のテルヲの態度を肯定するものではありませんが、
やさしい気持ちを持っている面を考えると同情を感じるところもあります。
TA視点がなければ、ただただ大嫌いな人でしかなかったでしょう。
(場面①)千代を奉公に出す場面
千代が家を出て行ったあと、亡くなったお母ちゃんの写真を見て家を飛び出すテルヲ。
「千代~!!」
叫びながら追いつくと、千代に向かって言う一言
「こねなもんあったら、栗ちゃんが嫌やろしな。お母ちゃん、お前が持ってたほうが喜ぶ」
どうしようもない一言ですよね。
実の子どもが奉公に出るに、優しい言葉のひとつもない。
写真を渡した後、振り返ることなく帰ろうとするテルヲ。
これだけ見ていると、腹が立って仕方ありません。
ここで視点を「テルヲ」の本当の気持ちは? にシフトしてみます。
お母ちゃんの写真を見つめているテルヲ。
そして思い立ったように写真をもって家を飛び出すテルヲ。
この姿を見たときに、私は千代を思う親心が溢れ出たのだと感じました。
別れ際のセリフもテルヲの寂しさや照れ隠しから出たセリフだったのだろうと。
このシーンについて、演じたトータス松本さんのコメントは私の想いとは違うものでした。
自分が深読みしたのか、と思いつつ、感じ方は人それぞれだなぁとも思いました。
(場面2)千代が道頓堀から脱出する場面
千代がテルヲの借金のかたにやくざに連れ去られそうになった時、
奉公先の助けを得て無事逃れます。
それを陰で見送るテルヲ。
見送るテルヲの姿は、どこかホッとしているように感じました。
自分の借金のかたで千代を身売りさせようとするひどい父親ですが、
そこには、親として子どもをそのような状況にしてしまう申し訳なさがあり、
やっぱりテルヲは子どものことを心配している親なのだと感じました。
私には養育的な親(NP)の自我状態が感じられる場面でした。
このシーンについても、トータス松本さんのコメントは秀逸です。
口惜しさと安堵、その両面を演じていたとしています。
自分の視点があって、その上で、演者の視点でどのように演じていたのかを聴くと、
人間観察が楽しいものになってきます。
(場面3)千代が主演になれなかったために怒鳴り込みに行く場面
オーディションがあり、千代も試験を受けたが結果は不合格。
それを不服に思ったテルヲは社長の元へ怒鳴り込みに行く。
千代の良いところを、いっぱい言った後のセリフ
「竹井千代は、日本一の女優になんのじゃあい!」
とても迫力があり、親が子どもを思う気持ちが乗ったとても良い場面でした。
グッときました。
普通の親は、オーディションの選考に落ちても、
「なんでうちの子ではないの!」って思っても
主催者に怒鳴り込むようなことはしないですよね。
それをテルヲは口にしてしまう。
それも純粋に、千代のことを思って言っている。
やっぱりテルヲは優しい親なんだと感じるシーンでした。
ここでも、テルヲの養育的な親(NP)の自我状態が感じられました。
ただ、その先には「お金」があったのではと、トータス松本さん。
人間の捉え方は難しいですね。
ひとりの人をとっても、それまでの付き合いの長さ、関係性、言動で判断が変わってきます。
多くの場合、その一面を見て判断してしまいがちですが、
より多くの視点を持つことも必要だなぁと感じさせてくれたテルヲさんでした。
テルヲさんについての私自身の分析を振り返ってみると、
私は「罪を憎んで人を憎まず」、良い人であってほしい!
と願う気持ちが強く出ているなぁと感じました。
このように感じるのは私のフィルターを通して見ているいるからであり、
このフィルターをTAでは準拠枠と言います。
準拠枠とは、人がそれぞれの世界をどう見ているのか、物事を判断、認識するのに使っている基準となっているものです。
人は生まれ持っている特性と経験をとおして、感じたり考えたりしています。
言い換えれば、自分の特性と経験という「色眼鏡」を使って、見たり聞いたりしているということになるのです。
私の場合、テルヲさんに限らず、できるだけ性善説で判断しようとする傾向があります。
このような傾向があることを自分が知っていることは、
自分はこんな人!を知る安心感につながっています。
テルヲの言い訳(トータス松本さんが語る)
【CM】
昨年放送されていたCMになりますが、コカ・コーラから発売している「からだすこやか茶W」。
そのCMで、指原莉乃さんと大久保佳代子さんが出演していたものがあります。
やっと一息ランチ時、
定食屋さんで指原さんがランチセットを頼みます。
定食を運んできた大久保さん。
「本日のおすすめ。脂肪を糖で包んだランチセット。」「召し上がれ!」
「ランチ時くらい好きにさせてよ!」と指原さん
こんなCMご覧になった方もいるのではないでしょうか。
このCMの二人のやりとりを分析すると、
言葉の裏に相手を牽制するようなメッセージが見え隠れしています。
普通ランチを運んで来たら
店員さんが口にする言葉は、
「本日のおすすめ。お待たせしました~」
くらいでしょうか。
それをわざわざ
「脂肪を糖で包んだランチセット。」
と言っているのは、
「健康に悪いかもしれないけど、このセットでいいんだよね~」
といった、ちょっと嫌味を含んだ、意地の悪いメッセージを感じます。
また、「召し上がれ!」という言葉からも、
「それでも食べるんなら、止めないよ! 食べれば!」
という圧力を感じます。
言葉だけでも、嫌な気持ちを感じるところですが、
大久保さんのセリフの言い方が、その"空気"を全面に醸し出しています。
非言語での「本当に食べるの!!」メッセージを強く感じます。
直接的ではなく、裏メッセージを伝え、商品の良さをアピールする。
なかなかよくできたCMだと思いました。
私たちは普段会話の中で、素直に会話をしている場合と、
会話の裏にあるメッセージ(心理メッセージ)を含んで話をしていることがあります。
この心理メッセージを含んだ会話のことを「裏面交流」と言います。
このCM場合、次のようなやりとりがあったと考えられます。
このように、CMをTA視点でみると、素直にそのまま見ている時に感じるものとは別に、
裏側から感じとれるメッセージがあることに気がつきます。
良し悪しを評価するものではありませんが、
どんなメッセージを伝えたいのか、別の視点から考えてみると、
いろいろなことを感じることができます。
たまにある炎上したCMをみると、その原因はCMの裏面の(隠された)メッセージを、嫌な感じで受け止めた人が多かったからではないか、と推測されます。
指原莉乃、CMソング担当3年目でついに手応え!? からだすこやか茶W『サクッとランチ 2020』篇
【事件】
ニュースを見ていると、不幸な事件が毎日のように報道されています。
とくに子どもが巻き込まれた事件のニュースを耳にすると、いたたまれなくなります。
その加害者が母親であれば尚更です。
TAを学ぶ前の私は、報道やワイドショーの情報だけをもとにして加害者像を作り、
彼女たちのことを人として否定し、許されざるべき者として考えていました。
TAを学んだ今も、起きてしまった事実については強く非難しますが、
事件を起こした人については、その背景を見ようとするようになりました。
加害者はどのような環境で育ったのか?
事件を起こすまでどのようなことがあったのか?
周りで気づける人はいなかったのか?
事件を起こしたときどのような心理状態だったのか?
・・・・・・など
これらの質問について考える際に、
TAの視点、その人持つスクリプト(脚本)やドライバー、準拠枠などが、理解する助けになります。
どのように育ったのか、またその人を取り巻く環境についてなどを考えることで、事実と人格を分けて考えることが可能になり、私はその人を即座に全否定することがなくなりました。
ただ、全否定しないだけで、肯定できるかどうかはまた別の問題ですが。
私は専門家ではありませんので、一つひとつの事例についてコメントしようとは思いませんが、
一方向からの情報のみで判断せず、物事を広くとらえ考えられるようになったことは、私にとって良かったと感じています。
【これからも】
TAを学ぶことで、自分のあり方や、他者とのコミュニケーションなど様々な場面で、よりよく生きるためのヒントが得られます。
生きていると、自分の周りで様々なことが起こります。
それらを俯瞰して、複数の視点を使って考察することは、偏りの少ない考えにつながります。
自分の視点が足りなければ、他者の視点を活かしてもよいでしょう。
私にとって「TAの視点」で物事を考えることは、とても居心地の良い有意義なものとなっています。
これからもこの視点を有効に活用していきます。